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~ I have been always chasing the peak, the perfect Pinot Noir. It's a sort of game. ~ |
そこにあるエレガンス。
ワインのラベル名を決める作業というのは、結構時間と労力がかかるものだ。これだ!と思ったものでも、既にどこかで使われていたりする。その点、作り手・オーナーの名前を冠した場合、よほどありふれた名前でない限り、既に他で登録されていることはない。が、それらが「絵」になっているか、「サマ」になっているかというと、これはまた別問題。
そこで、CAPIAUX キャピオー。ワインのラベルに使われるために存在してきた名前ではないか、と思えてしまうほど、しっくり来る素晴らしいラストネームだ。フランス系が醸し出す、なんともいえないエレガントさが既に、そこにある。

ワインは小さい頃から、水といっしょに
キャピオー・セラーズのオーナー兼ワインメーカー、ショーン・キャピオー氏は、スタンフォード大学付属病院で生まれた、生粋のカリフォルニアンだ。20歳台後半にフランスから移住してきた父は、毎日ワインをたしなみ、典型的なフランス系家族がやるように、ショーンも小さい頃から水と氷とで混ぜたワインを飲んできたという。
父親がやっていたエンジニアリングの仕事に興味のなかったショーンは、体を動かして大地と関わる分野を選び、カリフォルニア州立大学フレスノ校に入学、ふどう醸造学位を取得した。

潤沢な資金のもとでの、豊かな経験
在学中にインターンシップをしていた「Jordan」で、卒業後しばらくフルタイムで働き、「J」(スパークリング・ワイン)のたちあげを手伝う。まだ若かった彼は、そのあとオーストラリアに渡り、ただ一人のエノロジストとして、Houghton Wineryで、あらゆるバラエタルのハーベストを経験。しばらく放浪したあとカリフォルニアに戻り、Pine Ridgeワイナリーにエノロジストとして就職。
当時のパイン・リッジは、新オーナーのもと、事業拡大の時期を迎えており、もう少し規模の小さい、ハイエンド・ワインに携わりたくなった彼は、92年、ピーター・マイケル・ワイナリーに移る。当時のピーター・マイケル・ワイナリーは、かのヘレン・ターリーが去った直後で、いわゆる「ヘレン・スタイル」の大舞台のようだったと言う。白ワインを中心に、潤沢な資金のもと、作り手が良いと思うことなら何でもトライすることができるという素晴らしい環境だった。

ピノ・ノワールへの挑戦
ブルゴーニュ・スタイルのシャルドネで名声をあげていたピーター・マイケル・ワイナリーには、常に「何故、赤もやらないのか」という要望が消費者から寄せられていた。ワイン・メイキングを任されていたショーンは、そこで、ブルゴーニュの赤=ピノ・ノワールを手がけることになる。「例えばナパのカベルネは、最適の土地と気候という財産が既に充分にあるから、自然と素晴らしいワインができあがってきます。でも、ピノ・ノワールというのは、そこに素晴らしい土壌があっても、必ずしも最上のワインができあがってくるわけじゃない。とてもトリッキーで、だから非常にチャレンジングでもあります。」
ピーター・マイケル・ワイナリーの施設を使って、ショーンのピノ・ノワール作りが、この時から始まった。同ワイナリーにおけるピノ・ノワールへのテストも兼ねながら、ショーン自身のワイン作りも手がけることが許されたのである。

西海岸と東海岸
94年に、カーネロスの葡萄を使って、ピーター・マイケル名のピノ・ノワールを作り、95年、ソノマ・コースト、ハーシュ・ヴィンヤードのピノ・ノワールをキャピオー名で出すのだが、ここで一旦、ショーンはニューヨークに移り住むことになる。奥様のジーナが、コーネル大学メディカル・カレッジに入学することになったからだ。ピーター・マイケルを離れることは、かなり残念なことだったに違いないが、東海岸に移ってもワインメーカーとしての居場所は何とかなるだろう、という彼なりの自信があったものと想像する。そういう心配よりも、妻のキャリア・アップを優先したのだ。手に職をつけていると、本当にこういう時強い。

手を加えることは最小限に
2001年にカリフォルニアに戻ってきたショーンは、ハウエル・マウンテンにある「O'Shaughnessy(オショーネシー)」でワインメーカーをしながら、キャピオー・ブランドのワインを造っている。キャピオーのピノ・ノワールは、自然発酵、濾過なし(Unfiltered)、清澄なし(Unfined)である。このプロセスは、ピーター・マイケル時代、徹底的に経験を積んだものだ。
自然発酵は、酵母が持つダイナミックな特性を理解してこそ施せるもの。自然発酵のベネフィットを最大限にするために、温度をコントロールし、樽は新しいものを20〜30%に留める。これは、バニラ・キャラクターを出すためでもあるが、ヴィンヤードで育った果実を最大限に表現させるためだ。ラグジュアリー・ワインを造るワイナリーによっては、毎年100%新オーク樽を使う所もあるが、ショーンにとっては、「ワインを圧倒してしまう」結果となると言う。
「ラッキングにせよ、濾過にせよ、何かをワインに施すのは、それだけ少しずつ何かをワインから取っていくことになるのです。干渉することは最小限に留めて、ワイン自身に育たせるのが大切だと思います。このやり方は、リスクも大きいが、その分得られるものも大きいのです。」

ピノ・ノワールの頂点へチャレンジ
一般的には、赤ワインといえば、まだまだカベルネ・ソーヴィニョンやメルローが消費者の求める主流となっている。が、ワインメーカーとしてのショーンには、これらの主流バラエタルに強いモチベーションを感じなかった。まださほど知られていないニッチな存在、ユニークで詮索したくなるようなバラエタル、そういうものを求めると、自ずとピノ・ノワールに没頭していくことになる。
「私にとってピノ・ノワールというのは、本当にユニークなバラエタルです。これまでピノ・ノワールの頂点、パーフェクトなピノ・ノワールを追い求めてきましたが、これからも一生、追い続けると思います。一種のゲームですね。チャレンジし甲斐があります。」

ピノ・ノワールのイメージ、キャピオーのピノ・ノワール
「私の作るピノ・ノワールは平均的なピノよりも、ユニークだとは思います。色が濃くて、果汁がめいっぱい搾り出されたヘビーなピノ・ノワール、いわゆる『カベルネのピノ・ヴァージョン』といった、今カリフォルニアで人気のスタイルを作ろうとはしていないですし。
私の理想的なピノ・ノワールのイメージというのは、もっとフェニミンで、デリケートでアロマティックなものです。ピノ・ノワールのエッセンスは非常に美しいものであり、花であり、バランスであり、ハーモニーだと思います。」
キャピオーの単一畑ピノ・ノワールには、ピゾーニ畑とウイドーズ畑という対照的なものがある。ピゾーニは、タンニン強め、濃い目の色調、そしてリッチ。ウイドーズは、よりクラシックなピノ・タイプで、色はルビー、そしてフローラル。しかしながら、そのどちらもが極端に走っておらず、ほどよく中間にランディングしている。つまり、標準ピノ・ノワールのように、チェリーやストロベリーのアロマを持つ軽いものになってはいないし、タンニンの非常に強いヘビーなフルボディ・ワインになってもいない。それでいて、畑の個性が明確に味わえる。「その中間性みたいなものが、私のワインのユニークさで、それが今のところワイン愛好家の方々に受け入れられているポイントかと思います。」

明けても暮れてもワイン
オーストラリア、東海岸へと移り住んできた彼も、今ようやく一箇所に定着した。オショーネシー・ワイナリーのワインメーカー、シュナイダーのコンサルティングが、彼のレギュラーの「仕事」で、それをバックグラウンドにして、キャピオーのワインを造る。「ピノ・ノワール造りは、私の情熱なんだ」という彼には、理想的な環境ではないだろうか。
「ワイン作りは、実に長期間のプレジェクトであり、長期間の契約ごとです。ヴィンヤードに木々を植えて葡萄を作り出し、ワインを生産してボトリング、そしてリリース・・・。1つのワイン、ワイナリーが動き出して軌道に乗るまで、5年から10年もかかるわけです。94年から始めたキャピオー、3年前からプロジェクトを始めたオショーネシー、これらの発展が、今の私の楽しみです。ワインだけの人生?そうかもしれないなあ(笑)」
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